【彼女は歌う

 

僕は売れない作曲家志望 部屋の家賃ですら苦しくなり どこかにいいとこないかなと紹介されたのがこのマンションで

  ここはいわゆるいわくつき物件 だけど背に腹は変えられないか

     僕はすぐにこの部屋に決めたんだ 荷物もいるのはこのピアノくらい

引っ越してから三日目の夜 午前二時過ぎに息苦しくなり 目を覚ますとピアノの前に白い服を着た女の子がいて

「あなたはピアノが弾けるの?」と目を輝かせて言うものだから僕は

                     「まあ少しくらいは」と答えた その日 出会った幽霊の少女

彼女の生前の夢は 自分の歌をつくり歌うこと

 「まぁ結局叶わなかったけどね」と付け足す彼女がおどけてみせる

   「それなら歌を聞かせてよ ここならわりと音も出せるから」

          彼女は「知ってる」と笑って 部屋を見渡した

僕がピアノを弾いて 彼女が歌を歌って  とても優しい声だなと思った 胸を打たれて言葉を失った

   僕がピアノを弾いて 彼女が歌を歌って  狭いこの部屋の隙間を埋めるように 彼女の声が響き続ける夜

 

それから二人毎日のように 小さな音楽会が開かれる こんなに素晴らしい歌声だから誰かに届けたいと思った

「僕が持ってる機材を使って曲を録って形にしてみないか」

   「動画サイトにあげておけば誰か聞いてくれることもあるかな」

嬉しそうな彼女のとなりで僕は準備を急いだ

 「上手に歌えるかな」と慣れないヘッドフォンをつけた彼女が言う

      「そんなの気にしなくていいよ 不安も期待もぶつければいい」

       彼女は深く息を吸って  「うん、もう大丈夫」

 

僕がピアノを弾いて 彼女が歌を歌って とても儚い声だなと思った どこまでも遠く届けと願った

  僕がピアノを弾いて 彼女が歌を歌って  狭いこの部屋の隙間を埋めるように 彼女の声が響き続ける夜

 

 

だけど彼女の歌声は 僕にしか聞こえていないと知る  録音されたファイルから僕のピアノの音だけが再生される

 「まぁ、仕方ないよね なかなか思い通りにはいかないね」 涙を拭いながら笑う そんな姿を見たいわけじゃなかった

                       何も残してあげることができなかったんだ僕は

 

 

彼女の生前の夢は 自分の歌をつくり歌うこと

「ねぇ今から少しだけ歌うからそこで聞いていてくれないかな

   「何時間でも聞いているよ 僕は他に何もできないけど」

               彼女は「知ってる」と笑った    ごめんね、ありがとう

僕はただ聞いていた 彼女がつくった歌を 楽しかったことも泣いたこともすべて繋ぎとめてほどけないように

   「さよなら、もう行かなくちゃ」 彼女は最後に歌った

 

                「他の誰かには届かなかったけどあなたひとりに届いてよかったよ」